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焼き鳥屋さん

久しぶりに飲み屋に行きました。焼き鳥屋さんです。今日はカミさんが職場の飲み会(本人は下戸なんで、歓送迎会絡みに顔を出す位です)で遅くなるので、学校から帰ってきた子供とたまには二人で外にと出かけました。私は料理好きでよく台所に立ちますが、今日は一日アルコールアノニマスのテキストである『ビックブック』を熟読して、充実感で気が緩んで外食の気分でした。帰宅した子供に何が食べたいか尋ねると『焼き鳥』との事。理由は単純で、先日TVでみた焼き鳥が美味しそうだったからです。私もそのTVを見ていて、悪くないなと思いました。食事の後、カミさんを迎えに行けば一石二鳥かなと、カミさんの職場近辺でお店を探します。webで味も値段も手頃(子供にはジャンクな物を食べさせていないので、特に肉や魚の味に敏感な上、私も子供もよく食べるので焼き鳥でお腹いっぱいになるにはハードルが高いです)なお店にあたりをつけ出発。飲み屋に入るのは本当に久しぶりになります。お酒を最後に飲んだのは5ヶ月前ですが、最後に飲み屋に入ったのは1年以上前です。その時は職場の人と一緒でしたが、体を壊して入院した後だったので、対外的には断酒したと嘘をついていたので、その時も店では飲んでません。まあ、その時は飲み会が解散した後の帰路にしっかり飲んでますが。話は戻しますが、アルコール専門病院を退院して、飲まない事以外に特にアルコールを遠ざける配慮をしてませんが、飲む気がなくてもそこは飲み屋です。子供の目もあるし、車だし、そこで飲む事はないにしても、あとで衝動が来たらアルコールアノニマスのテキストを取り出して耐える覚悟でしたが、想像以上に何も感じませんでした。結論は私はウーロン茶、子供はカルピスで美味しく串×18本、手羽先×2、揚げ出し豆腐×1、焼き鳥丼×2を平らげ満足です。カミさんも呆れ顔のお勘定でした。お酒も飲まず、子供と二人の晩ご飯には少し高くつきましたが、以前はバカじゃないのというくらいお酒に無駄金を使っていましたし、その挙句に形がなくなるまで酔っていましたから、それを考えたら、子供と笑顔のささやかな焼き鳥デートは幸せな時間が過ごせました。私がお酒のある場所に近づいても不安な顔をしない(多分、全く警戒してない訳じゃないでしょうが)事が断酒のモチベーションにもなります。いつでもどこでも誰とでも、どんなシチュエーションでも自分を見失わない振る舞いができる自信はまだありませんが、時間をかけて『飲まない』以外の制約を克服できたらなと思います。もっとも、自制心が場慣れして緩くなっても困るので、暫くは飲み屋等々は控えますが。
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飲酒欲求

アルコール専門病院に入院中は毎朝一番に抗酒剤を飲んでました。この薬を製造している製薬会社に以前仕事で出入りした事がありましたがまさかお世話になろうとは。この薬は服用してお酒を飲むと、吐き気や頭痛、動悸、高血圧などの症状に見舞われる為、肉体的な苦痛を引き起こさせる事で飲酒欲求を遠ざける薬だそうです。私は服用して飲酒した経験が無いのでわかりませんが、経験者曰く、大変な事になるそうです。入院中は精神病院とはいえ、時間などのルールを守れば院外への散歩や買い物、週末は外泊も可能な病院でしたから、念のため、医師の指示に従い服用してました。もう、入院中の飲酒欲求をよく憶えていませんが、もしかしたらこの薬のお陰でお酒を飲まずにいられたのかもしれません。退院の際に、次回の診察までの分を処方されましたが、面倒で飲むのをやめました。とりあえず、まずしばらくは飲酒欲求も湧かないだろうとタカを括っていた事も事実です。本来、予防の薬ですから、事が起こる前に服用するものですし、それを毎朝ちゃんと飲む事で、家族を安心させる側面もあります。結果的に今日までスリップ(再飲酒)してないだけであって、厳しい目で見ればタマタマに過ぎないと叱られるかもしれません。退院した後の通院で、薬を服用してないと先生には伝えました。服用しろと指示は出ませんでしたが、私も自分を信用している訳でもないので、復職(今日現在は未だ休職中)の際は服用しようかと考えている旨を伝えました。まあ、抗酒酒を服用してないので偉そうな事は言えませんが、アルコール依存性者の日常生活は防衛が大事だと思います。が、その点で私は優等生ではありません。している事は定期通院とたまにAAに行くくらいです。食品にアルコールが添加されている事はよくある事なので、原材料や調理法は気をつけなければなりませんが、まず気にしてませんし、スーパーやコンビニにもしょっちゅう行きます。挙句、酒類コーナーが目にはいれば、いいなぁ!畜生!!と飲めない自分に毒づきます。私は根性より科学的根拠や合理性に重きを置くタイプですが、このあたりはかなり杜撰ですね。ただ、通院と自助グループ以外に気をつけている事は、お腹を空かせ過ぎない事と、喉の渇きをほっとかない事です。特に空腹は危険ですね。退院して始めて一人で繁華街を歩いていたら、心がざわついて飲酒欲求に襲われましたが、手近な中華屋さんに飛び込んでご飯を食べたら収まりました。お腹が満たされたら、欲求不満もなくなり、気持ちが満たされます。ただ、現在は休職中で、ストレスの負荷も掛かっていません。復職するあたりから、生活を見直さないといけないと考え始めたところです。

振戦せん妄2

アルコール依存性病院を退院して、それ程飲酒欲求には苦しんでませんが、やはり飲みたいとは思います。以前狂うまで飲んだバーボンにはさほど関心が向きませんが、ビールはつくづく美味しいだろうなと思うものです。退院して当初は代替として、ゼロカロリーのコーラを一日に随分飲みました。季節も寒くなり、体の事も考えて今はコーラはやめましたが、原料が水と二酸化炭素の純粋な炭酸水に100%果汁のジュースをちょい足しして飲んでます。あと、刺激が欲しい時にウィルキンソンのジンジャーエールを買います。なかなか売ってないので滅多に買いませんが、これはかなりききます。さて、振戦せん妄2、前回からの続きです。前回は、不眠と発汗、そして手足の震えでしたが、最後は幻覚&幻聴です。今のところ、人生で最初で最後(にしたい)の体験です。アルコール依存性病院に入院して三日目の出来事でした。お酒は入院の少し前から絶っていたので、病院では手の震えと不眠はまだ続いていました。不眠に関して言えば一週間はろくに眠れてなかったと思います。ただ、食欲は戻りつつあり、その日起こる事は予想もしてませんでした。朝からアルコール依存性に関するビデオ学習があり、午前中はビデオ鑑賞や患者仲間と雑談しながら煙草を吸ったりしてました。お昼ご飯のあたりから突然というか徐々にというか例えるなら変な夢を見ているようでした。客観的には起きているけど頭がおかしくなったような感じだったようです。私の記憶では、隣のベッドに新しい患者が入院してきて(事実)、その方が病院のホスピタリティが気に入らないと、暴れて先生に暴力を振るい始めたのです。(ここから幻聴と幻聴で、やや現実とほとんど妄想の入り混じる記憶です。)私は人見知りで慣れない人には緊張しやすいし、上司とかにはすぐビビったりしますが、若い時は腕力には自信があったし、学生時代は周りにヤンチャ系が多かったので単純な暴力沙汰には免疫がある方でした。自分から争いを起こす事はないにしても、気に入らなければカッとなるタイプで相手のガラが悪い方が見下してかかるのです。ところが、その妄想の中では完全にすくみ上がってしまいました。その患者は先生に暴力を振るった後(そんな事は起こってません)、病院に外に出てバスを奪い病院に突っ込んできました。私には病室の窓からそれが見えていて、隣のベッドの患者や病院スタッフに危ないと訴えます。なんとなくですが、病院スタッフの方がそんな事は起きてないと私を安心させようとしてくれた事と、私がおかしくなっているという目で見ていたのを覚えています。後で聞くとそれは事実でした。ただ、その後しばらくの記憶は現実か妄想かわかりません。窓際のベッドでしたが、窓から見える光景はデタラメな幻覚で徐々に病室内も現実ではない映像に見えました。夕方になる前に夢と妄想が入り混じった状況で病室を出て病室を徘徊したようです。その間に見えていた事は来るはずのないカミさんや子供と車で院外に遊びに出た事でした。その間に正確には何をしたか覚えていませんが、一瞬だけ現実と記憶がつながります。それは異常な言動から、閉鎖病棟に移される事になったのですが、その時に財布の所持金を、確認したことです。アルコール病棟は入院して最初の一週間外出ができません。ですが、自分が妄想の中をさまよっていたのがわかったので、記憶のない中、お酒を買いに行ったのではないかと思ったのです。私は体調が悪い時にあり得ない夢を見たり、アルコールで酩酊して異常な言動をとる事はありましたが、素面で起きていておかしくなった事は無かったので、まさか幻覚を見て院外で酒を買って飲んだのではないかと考えたからです。お金はちゃんとありました。看護師さんからは院外には出てないと伝えられました。そして閉鎖病棟に移りました。閉鎖病棟の病室のベッドに着くと、かなり気分が悪く電気を消して戸を閉め横になり目を閉じました。ここからまたおかしくなります。最初は病室の外から幻聴が聞こえます。内容は曖昧な記憶ですが、パラノイアとしか言えません。そして何度もナースコールで訳のわからない事を言いました。自分がどこにいるかも、段々分からなくメチャクチャになっていき、そして最後には自分がどこか犯罪者の施設みたいなところに入れられて、殺される妄想に至ります。もうヤられるという瞬間、私は裸足で病室をとびだし、閉鎖病棟の出口のところで助けてくれと叫びました。ちなみに、後でそれを見ていた人に聞くと、逆で、私はブッ殺すゾと叫んでいたようです。叫んだ瞬間、一瞬だけ正気に戻ります。それまでフロアで歓談していたであろう患者さん達がポカンと私を見ているからです。そして私はまたパニックになりましたが、駆けつけた看護師さんが冷静に扱ってくれました。私はそのまま、閉鎖病棟の中の更に牢屋みたいな保護(隔離)室に連れて行かれました。そして、そこで安定剤を飲み、ようやく妄想から解放され朝まで眠りにつきました。翌日、目が覚めると、幻覚と幻聴は無くなり、徐々に昨日が殆ど妄想の中にいた事がわかり始めました。おかしくなって大騒ぎしたのは事実ですが、見えていたものが現実ではなかったのでホッとしました。朝食の後で保護室から出され、病室に戻りました。しばらく閉鎖病棟にいる事になり、最初はアルコール病棟に戻って早く回復のプログラムを消化したい(退院したい)と思いましたが、諦めました。自分でも上手く説明出来ないけど、心底怖かった妄想、そして記憶のない挙動、更にそれらが全て素面で起こった事。本当に怖くなりました。自分が何をしでかすか分からない不安や酒害の恐ろしさが身に染みました。先生が許可するまで、閉鎖病棟にいようと受け入れました。病院も酒害の怖さも馬鹿にして、自分はまだ大丈夫とどこかで思っていた考えが吹き飛びました。後で考えても、この経験が私に謙虚さや病気の認識、真面目に取り組む気持ちや現実、色んな事を気づかせてくれました。今でも思い出したくない一日ですが、あれが無ければ、その後の入院生活は無意味に過ごしたかもしれないし、今日という日がどう迎えていたかもわかりません。

振戦せん妄

今回は私の離脱症状、振戦せん妄です。アルコール依存性の離脱症状は、お酒が切れて起こる症状です。症状は時間も状態も個人差があります。アルコール専門病院に入院前の私の場合は、まず不眠でした。お酒を少ししか飲まなかった時や全く飲まなかった時は、夜、満足に眠れません。眠りたいので寝床につきますが、長くても1時間くらいで目を覚まし、朝まで繰り返して、仕事に行く頃にはグッタリです。睡眠時に辛かったのは発汗も酷かったです。夏に汗をかくのは仕方がないとしても寒い時期も尋常じゃない汗をかきます。掛け布団をかけても寝ると、大量に汗をかいて暑いし汗でビショビショになって目が覚めます。寝苦しので、掛け布団を跳ね除けて再度眠ろうとします。今度は汗が一気に気化するので寒くて眠れません。この繰り返しです。日曜日は朝からカミさんと一緒に家にいるので日曜日は全く飲めず、その夜は眠れず月曜日は朝からボロボロでした。また、何かの理由があって意図的にお酒を抜いても、やはり同じ事が起こるので、眠れない事が辛くて飲んでいた節もあります。次に振戦、体の震えです。大体は手先で、文字を書くのに難儀しました。ペンやお箸を持つと露骨に人にばれます。だから些細なメモ書きもわざわざPCで入力してました。キーボードタッチだと目立たないし、手書きと違って乱れません。震えが手先にくる時はまだ良くて、入院する半年前は足にもきました。特に月曜日の朝です。日曜日は飲まない(飲めない)事が多かったですから、月曜日の職場の朝礼で足が突然ガクガクして立っていられなくなりました。正確に言えば既に小刻みに震えているのですが、上司が話をして、皆が静かに無言で立っている中で自分だけ震えていると思うと、プレッシャーが相乗効果になって、震えが倍加します。仕事中、お酒を飲んだのも、この震えを止めるためだったのが最初だったような気がします。お酒のせいで離脱症状がでる体になって、それを止めるためにまたお酒をを飲む。社会人として崩壊寸前のサイクルでした。
続く

ガジェット

ガジェット、意味は装置とか機器を指しますが、この場合はデジタル機器の総称です。今回はアルコール関連の件は絡みません。先週と今週は都合や疲れでAA(アルコールアノニマス)のミーティングに行けてません。代わりに?、休職中の隠遁生活の身に心のエナジーを補給と言い訳して、車で3~40分の郊外の家電量販店に出かけました。私はマニアとまでいかないにしても、家電というよりガジェット好きです。自宅は割と地域の都心にあり、近くにも幾つか量販店はありますが、立地のせいか店舗が大きくなく、比例して品揃えがイマイチです。そこで目当ての品も有るし、郊外のお店に出かけました(以前は休みの日はアルコールが入り、運転出来ませんでしたから)。買い求めるはiPhone4のカバーです。今頃っ?って話ですが、最新のiPhone5が私の持つiPhone4や4Sより本体サイズが大きくなり、このサイズが今後のスタンダードになるなら、iPhone4サイズはいずれ淘汰されるだろうし、近い将来(野田首相のそれより早いかも?)逼迫するだろうからです。ガジェット好きならiPhone5に乗り換えも選択肢なんでしょうが、1.iPhone4の残債が残っている、2.iPhone5のカラーリングがイマイチ、3.今の休職中の隠遁生活で買い替えをカミさんに言い出す勇気が無いし、iPhone4はかなりお気に入りなので、あと1年は使います。iPhone5の方がwebがサクサクというくらいしか、理由がありませんから。カバーは事前にネットで私の条件に合う品にあたりをつけていたので、ものの5分で購入です。後は2時間近く、買う気も余裕も無いのに店内を物色(冷やかし)です。久々に量販店に来て、最近のトレンドのみを収集していました。ボチボチ帰ろうかという時、ふとiPod用のスピーカーのコーナーが目に止まりました。ちょっと欲しかったのです。自宅には昔、仕事の出来高のインセンティブで思いっきり奮発した、並よりは良いオーディオがありますが、リビングに置いてあり、寝る時は音楽は聴けず、寝室では本かモバイル(モバイルPC、ガラケー、iPhone)しか娯楽がありません。退院して、寝る前に音楽やラジオが聴きたかったのです。これも言い訳ですが、本やモバイルを見始めると、眠れない時は夜更かしの原因です。音なら目をつぶっても楽しめます。FMラジオも聴ける第6世代のiPod nanoを持っているのですが、第6世代は本体のスピーカーが排除され、イヤフォンをしないと聞けません。寝ながらイヤフォン付けっ放しは耳に悪そうだし、家族のいる家の中でイヤフォン装着は引きこもりな雰囲気満載で、iPodは自宅ではご隠居しています。寝室用にオーディオを買うのは厳しいが、スピーカーならいけるかもと、品定めを始めます。しかし、価格、デザイン、サイズ、何より音を比較すると決まりません。以前なら、後先考えず購入ですが、休職中の経済状況と安易な物欲を自制する気持ちが即断を止めてくれました。そうだ!どうせ買うにしても、肝心のiPodにそんなに曲を入れてない!!せめて、Boss(私が20年来ファンであるBruce Springsteenの愛称)の曲くらい全部入れてから考えよう!!!そう言い聞かせて、音を優先して高い対価を払う事もケチって小銭を捨てる様な真似もせず帰宅しました。さて、翌日です。ひとまずiPodの曲を充実させようと、iPodとノートPCを取り出します。うちはPCに重きを置いていません。私の仕事はPC無しでは仕事にならないので、家では距離をとっていましたからありあわせです。念の為買ったpowerpoit付きのofficeは無駄金にした有様です。メイン(とは言い難いですが)は数年前に勢いで買ったネットブックのはしりみたいな小型ノートですが、windows vistaが世に出たばっかりの頃の代物で、XPなら動くんでしょうが、vistaではMS推奨ギリギリのスペックで、リカバリかけても超重い残念なやつ。名ばかりメインで、もはやLANに繋いだHDD(ほぼ子供の写真用)とwi-fiを管理する為にしか使っておらず、経年の劣化と削除出来ないプログラムで容量がパンパン。とてもiTunesは使えません。こいつからLANを引っこ抜き、引っ張り出した2号機のノートに繋ぎます。こいつは往年のXPノートで余計なものを入れてないので、許容範囲ギリギリの処理速度で動きます。(しかし、筐体が無駄にデカく、ディスプレイのヒンジが壊れているので常設はしたくない)こんなPCしか持ってなくてガジェット好きなんてって話ですが、私とカミさんはiPhone、子供は初代iPadを使っているから、普段は全く困りません。さて、立ち上げて確認すると、iTunesは旧バージョン。アップデートをかけますが、エラーです。しばらく考えると、windowsのアップデートもいつが最後かわからない状態。とりあえず、今度はwinのアップデートを試しますが、これもエラー。今度はエラーメッセージに『時刻を同期させて下さい』とでます。ふと見ると、時間どころか、日付も2003年になってます。そんなこんなで日付を同期させ、winをアップデートさせるとiTunesも最新バージョンが落ちました。ようやく準備が整い、ラックからiPodに入れるアルバムを取り出します。その時、ふと同ミュージシャンの音楽DVDが目に入ります。そうだ、これもiPodに入れたら、寝ながらライブバージョンの曲も聴けると、欲を出して脱線します。ネットでDVDのコピーガードを外すソフトやiTunesに落とす為に、MP4変換ソフトを探し始めました。我ながらナイスと思いながらネットを漁ってると、iPodとDVDに関連して、私の第6世代iPod nanoはMP4の再生に対応してないとかなんとかいう表記が!つまり、時間の無駄でした。結局、本来の予定のiTunesに好きなミュージシャンの音楽を入れる作業に取り掛かります。まあ、家電量販店に行ってからの思いつきから始まり、合間合間の作業ですが、気分転換というか、自己満足の一人遊びになりました。仕事をしたり体を動かしたり、家族と出かける事と比べると不健全ですが、お酒を飲んでダラダラよりは少し頭を使うんでマシだったかなと思います。

診察

職場復帰の為、復職前のステップの産業医面談に必要な主治医の先生の診断書を書いてもらうべく、病院に行ってきました。診察を受けるのは、退院して約二ヶ月が経ち2回目です。担当の先生は、あまり多くを語ったり指示したりする方ではなく、診察は気楽です。元々、病院は苦手。それに、今までお酒に関してやましい身だったので、先生の言葉でいう『失敗』(スリップ=再飲酒)がないので、あっさり終わり、復職可能の診断書を書いて頂けました。病院では久々に同期の『仲間』に会えました。他の病気なら病院で顔を合わせるのはネガティブなイメージが有りますが、この病気は病院や自助グループ(断酒会やAA)で会えるのは、回復の道に繋がっている証拠。良い事です。アルコール依存症は人知れずスリップし、悪化し、ボロボロになって死んでいるケースがあると聞いてます。入院中、退院した患者さんの訃報を聞きました。同じ病気なだけに、知らない方でもかなり凹みます。一度だけ、親しくはないものの、面識のある退院して間も無い方の訃報は言葉が有りませんでした。私が最初に入院したアルコール専門病院はこの病院と比べると、病んだ空気が満載で(事実、私は特に気持ちが病んでました)したから、入院OBの訃報を聞いたとしても、有り得る思うだけでしょう。でも、ここは患者が回復へのベクトルに向かうと信じた所です。アルコール依存症の回復率2割を目の当たりにします。さて、先程の同期の仲間ですが、最初の印象は、私の事は棚に上げて、感じの悪いアル中でした。個人のパーソナリティからいえば、私は親しみを感じるタイプではありません。でも、気がついたら、この人は『仲間』なんです。共通の話題とかあんまりないでしょう。酒の話ですらあんまり合いませんでした。入院中、話のフィーリングが合う人は他にもいましたが、何故か入院中の『仲間』で頭に浮かぶ一人です。今、冷静に分析しても、感情を排してロジカルに説明出来ません。言えるのは、

お酒でやらかした→でもまだ飲みたい⇔でもやめなきゃ

こんな図式が仲間意識を強めたんじゃないかと思います。今回の診察は、1.診断書を貰い、2.スリップ防止の為に先生の診察を受け、3.お世話になった看護師やOTやソーシャルワーカーといった人達と会うが目的でしたが、散々復職のことで頭がテンパって診断書を貰いに病院に駆けつけたのに、仲間や先生やスタッフ、つまり人に会えたのが収穫だったと帰りの車中で思い、久々の一人ドライブで余韻に浸りました。

tag : 診察 病院 アルコール依存症 断酒 アルコール専門病院

自宅待機

病院を退院して、家での生活はかなりうじうじしてます。確かに飲んで無いし、飲まなくても眠れるけど、ただそれだけ。自分にも周りにも怒りは良くないからと、怒ることはないけど、ちょっとしたことで寝室に篭ります。篭ると鬱の様にふさぎ込んで、ネガティブ全開。けど、何も解決せず、繰り返すだけです。ひとりで寝室にいてもろくな事を考えません。答えの出ないマイナス思考が堂々巡りするだけです。引きこもりの理由の一つに休職中の職場から連絡を待ってた事(言い訳)です。退院前と退院してから、こちらから連絡をとった際に、『追って指示します』みたいなお達しで、かなりビクビクと待ってました。これまでの経緯、入院中に会社組織が変わった、等々あり、引け目負い目(言い訳)で待ってましたが、これもうじうじする原因だと思い、改めて連絡してみました。再度、『(人事から)連絡します』の回答だったんですけど、会社の産業医面談やら面談の後いつから働けるかなど、具体的な話が出ました。一歩前進です。何事もタイミングが大事だし、待つ時は待たないといけない事もあるけど、言い訳つけて受け身はよくないと痛感しました。これでも営業マンなんです。営業での待ちは逃げると同意語だと散々痛感してきたのに。相変わらず成長がありません。ともあれ、養う家族がいる身です。この就職難のご時世ですから職を失わないよう、しがみつかなきゃ。担当だった看護師さんが言ってました、『今あるものを失わないように』と。本当にそうですね。散々迷惑をかけた会社には申し訳ないけど、復帰したいです。

tag : 復職 職場復帰 アルコール依存症 アルコール専門病院

入院

私は嗜好品が好きです。日本茶、紅茶にコーヒー。煙草もそこそこ吸います。そしてお酒。今は断酒してますが、無類のビール&バーボン党でした。お酒であれほどやらかして、家族を苦しめたのに、もしアルコール依存症が治るならまた飲むと思います。我ながら情けないですね。妻子の『お酒をやめて』という言葉を思い出すと胸が痛むので、そういう意味では完治しない病気で良かったかもしれません。ともあれ、今もお酒を否定してません。お酒は文化や産業の一形態で無くなるもんじゃありません。楽しめる人は楽しむ権利(仕事で汗を流している人とか)があります。第一、酒類売り場やメディアのお酒の描写にいちいち一喜一憂してたら身がもちません。今はアルコール専門病院に入院する前の病的な飲酒欲求がないので、我慢できます。アルコール依存症は飲酒をコントロール出来ない病気ですが、私の最低ライン『最初の一杯を飲まない事』を維持する事はやらなきゃなりません。一杯に手を出すと、時間の差はあれどアウトでしょう。病院でそう思えたのは、入院して二ヶ月近く経った時ぐらいと思います。離脱症状から解放され、入院する事で日常生活のストレスから逃れ、真面目にお酒をやめる事を考え始めた時でした。最後の入院の時、お酒をやめたいと決意して入院したのに、情けない事に離脱症状から解放されると、入院してても飲みたいと思いました。思いとどまったのは、家族と病院スタッフの気持ちが分かった事と、僅かでも本気でやめたいと気持ちがあったからです。それまで、私の口から出るお酒をやめたいという言葉は嘘だったと言っても過言ではありません。三十路を超えて、久しぶりに本気の意思や気持ちを込める事が大事だと思い出しました。本当に最初は小さい本音のやめたいと入院中だから取り繕った建前でした。それが、妻子の事、仕事の事、自分の未来、迷惑や心配を掛けた人達の顔、そんな事がアルコールが抜けると飲酒欲求と同時に頭を駆け巡り、入院中だからそれしか考えないので頭がそれで一杯になります。それまで“私と酒”だった思考が人の事を考え始めます。そのあたりから、メンタル面の回復、というより回復したい欲求があったと思います。昔はこんな人間じゃなかったはず?でも過去には戻れない。何が間違っていたのか?こんな感じですかね。昔、勤め先で仕事のレビューをする時、他責は最後に考えろ!自責を見直せ!と言われた事があります。そんなマインドで考えると、真っ先に気づいたのは【人の話を聞かない】という私でした。これは我ながらショックが大きかったんです。アルコールに溺れこんな事(入院•休職、というより失職寸前•人して親として失格)になってるのに俺は何だ?と。それからは沢山溢れました。謙虚じゃない!我慢が足りない!誰かにどうこう言える立場じゃない!そして改めて思ったんです。俺はこんな人間じゃなかったハズだ!!そして、それに気がつけた自分が何だか嬉しかったですね。それから、少しづつ態度が変わったような気がします。回復プログラムも真面目に取り組みました。元々、自分はこんな所(アルコール専門病院)にいる人間じゃないって、プログラムはおろか周りの仲間、つまり患者さんもバカにしてましたから。自分がアルコール依存症なのは棚に上げて。口では人間は学歴じゃないとか、仕事に貴賎はないとか言ってたのに。アルコール依存症って人から見られるのは嫌なのに、周りを色眼鏡で見てました。色眼鏡が外れると、患者仲間と話す何気無い雑談から回復プログラムのミーティングまで、些細なでも心地よい感動が感じられました。振り返ると『気付き』はまだまだ小さなものでしたが、感動は本物でした。だから、回復プログラムも本物の身になりました。そして、そんな自分を家族が評価してくれた事も嬉しくモチベーションになりました。評価して欲しくて頑張ったんじゃなく、自然ととった言動が評価されたんです。社会人になって、評価(給料や社会的立場維持)の為に仕事してたけど、思い返せしても本当にいい仕事をした時は周りの目なんか気にして無かったんですよね。そんなこんなで(思い出は美化してますが)病院ではメンタルの回復が何かわかる事ができました。私はいいカッコしぃでおだてられたら空も飛ぶ勢い(飛べません)になります。ありがたいのは、家族と病院スタッフと患者仲間が私に道標を探させてくれた事です。自尊心の強い私ですから、自力で漕ぎ着けたと考える節が大いにありますが、数ヶ月前のあの時に私の周りにいてくれた人達には本当に感謝してます。

tag : アルコール専門病院 アルコール依存症 断酒 入院

病院

アルコール専門病院に入院して本当に良かった事は、フィジカル面は離脱症状を医療機関のプロに支えられて乗り切れた点と、メンタル面では回復プログラムが断酒の気持を支えて頂けた点です。いくら気持ちがお酒をやめたいと思っても、離脱症状で身体がボロボロだと難しいと思います。仕事をしながら普通の日常生活では、私の場合は無理だったでしょう。薬の服用は最初から少な目でしたが、それでも極度の睡眠不足から助けてもらいました。入院していれば、適切な薬のコントロールが受けれるので、後半は精神や睡眠の薬を飲んでいません。これは退院してから楽だと思います。お酒も薬も飲まず、眠くなり眠れる事はありがたい事です。確かに入院すると、筋力や仕事をする思考は多少衰えますが、お酒に囚われ弱った身体は回復します。アルコール依存症という病気はそれだけで回復なんかしませんが、フィジカル面がボロボロではメンタル面の回復は厳しいです。それと、自分が入院する事で家族を休ませてあげられます。家族の傷は大きいです。退院すると実感します。話は戻りますが、身体の回復は大事ですが、長い目で見ると、一過性の事に過ぎません。ここで勘違いすると、『治った』とばかりにスリップ(再飲酒)だと思います。メンタル面の回復はきっと先の長い話で、私はまだスタート地点でオロオロしてますが、入院中は『気付き』があっただけでも良かったです。小さい『気付き』ですが、これは大きいんです。次はメンタル面の回復に繋がると信じた『気付き』について書こうと思います。喉が渇いたので今日はここまで。最近のお気に入りは、7・11のPB『おいしい炭酸水』で100%果汁ジュースを割ってイッキ飲みです。

tag : 離脱症状 アルコール依存症 断酒 アルコール専門病院

断酒

最後にお酒を飲んでから約五ヶ月。そのうち入院期間が最初の三ヶ月。つまり、退院してからは約二ヶ月です。私は、断酒何日目というように正確な日にちをカウントしてません。あまり、思考をお酒に囚われたく無いからです。というのも、私の断酒の維持は『最初の一杯を飲まない事』だからです。アルコール専門病院入院中、回復プログラムで訪れたAA(アルコールアノニマス)でこの言葉と出会いました。この言葉、ジワジワとしっくりきたのです。アルコール依存症という、アルコールを制御出来ない病気には理に適ってるし、生涯断酒(これしか進行を止める方法はありません)は言葉が重い。言葉というか、思考が重たくなります。仮に私が今後20年断酒を続けても、未だ定年退職の60歳には少し届きません。先の長い話です。根性なしの私には、考えただけでも息が上がります。だから、ゴールが分からないし、これが最後だと自分に願った入院の日を忘れない代わりに、特に日数を数えたりしません。断酒の基本、『一日断酒』の更に手前の『最初の一杯を〜』が私の最低ラインです。もっとも、この最低ラインを支えてくれる『人』『モノ』『コト』が沢山あります。専門病院を退院して、自宅療養(休職中の職場からの連絡待ちです)していると、過去にやらかした事、将来の不安で苛まれて鬱になりそうです。そんな時に考えるのは、アルコール依存症と診断されてから今日までの日々はお酒をやめるためだけの日々じゃなかったということです。もっとより良い人生を送る為の『気付き』のきっかけだったのだと。ともかく、酔っぱらいが酔いから醒めると暗くなりがち、前向きに考えないとやってられません。長くなったので、『人』『モノ』『コト』はまたにします。

tag : アルコール専門病院 入院 お酒 断酒 アルコールアノニマス アルコール依存症

ブログ

はじめまして!blog始めました!!
誰に宣言するようなものでもなし。初めてなんで、先ずは日記の様に書き始めながら、体裁を作りたいです。
実は、只今休職中。時間はあるんです。ん? ちょっと違うか。約一年前に、アルコール依存症とされて、
入院して自宅療養、二回目の入院を経て、現在は自宅療養で待機中なんです。
二回目の入院で酒を断ち、約五ヶ月。追って書いていきますが、今度は本気でやめたので、今は素面で社会復帰が不安。
そんな不安を紛らわし、足跡を残したいので、blog始めました。
もっとも、アルコール依存症のネタだけだと、書いてて辛くなるので、雑談交えた日記や回想にしたいです。
多分、まとまりません。
PCの前でしっかり書くのも向いてないので、モバイルでのんべんだらりと書いてます。
しまった! 長くなるなら、せっかく買ったキングジムのmoperaで入力すれば良かった!
こんなはじまりですが、続きますやら。初めてなんでピンときませんが、やっぱり読んでもらえたら嬉しいんでしょうね。よろしくお願いします。

tag : アルコール依存症 ブログ ガジェット 退院 断酒

プロフィール

Author:diehard0
2009年秋
健康診断
アルコール性肝臓疾患
糖尿病
他、異常値たくさん

2011年4月〜2011年5月
入院治療
肝臓疾患
慢性膵炎
糖尿病

2011年11月14日
アルコール依存症と診断
即日精神病院へ入院
休職の始まり

2011年12月27日〜03月30日
入院中も再三飲酒し転院措置
1回目のアルコール専門病院へ
医療保護入院


退院後も再飲酒
休職のまま自宅療養
連続飲酒の日々



2012年06月
入院治療を希望
心療内科へ相談
専門病院を予約

現時点で最後の飲酒

2012年07月2日〜年09月28日
2回目のアルコール専門病院へ
任意入院



2012年11月
復職に向けての自宅療養
ブログを始める



2013年01月
職場復帰

2013年3月
正式復職


断酒ポリシー
“最初の一杯を飲まない”

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