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go to next ~phase2~

2012年6月18日

私が最後にお酒を飲んだ日です。

1年が経ちました。

一つの節目です。

感慨深い…と言いたいですが、結果として最後のお酒になっただけなので、あまりどうと言う事がありません。
我ながら意外ではありますが…

1年前の家族や私に聞かせてあげたら喜ぶかもしれませんが、あり得ない事です。

『マネジメント』のピーター・ファーディナンド・ドラッカー先生的に言えば、
【must】【can】【will】(本当は順番が逆です)のマスト=最低限やらないといけない事のレベルが出来たかどうかです。

別に格好つけている訳ではなく、今よりも良い明日を模索しているので、とりあえず1年…です。

時間の節目で言えば、次は、『最後の退院から1年』の9月、その次が『復職してから1年』の来年1月が次なる節目です。

漠然とですが、来年の4月くらいは、感慨深くなれるかもしれません。

やる事はまだまだまだ沢山、前途は多難です。

まあ、断酒1年を祝って祝杯をあげるほど馬鹿ではなくなったというところでしょうか。


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You're sorry, I'm sorry

某大ヒットアクション映画で、『You're sorry, I'm sorry』=“ままらなぬ世の中よ”と訳されていました。

これはこれで好きですが、調べると『君は残念だと言っている(思っている)、私も残念だ』が直訳だそうです。

タイトルYou're sorry, I'm sorryは、今の私の心境です。


さて、このブログを始めたのは、2012年末でした。

今見直したら、最初の頃はまだまだ病んでるなーと思うのですが、よく見ると、最近の分もあんまり変わらない!と思う次第で、振り返るのをやめました。

そんなに簡単に人は変わるもんじゃないです。

客観的に読まれている皆様はとうにお気づきだったでしょうか。

残念ながら、私はまだ自分を客観視出来ませんので、冷静な全体像での自己分析はできませんが、文中の細かいところに、くだらない自己主張が滲み出ています。

それに気づいただけでも、退院後の足跡を残しておいてた事を良しとします。

自分が病気だと認め、回復を目指すには記録が必要です。

このブログを書き始めた頃は冬で、私がアルコール専門病院を退院したのは残暑の残る頃でしたから、少し時間も経過していて、アルコール依存症者が酒断ちしてありがちな通過点の甘いお菓子や炭酸飲料を貪る時期も終息していた頃でした。

気持ちの面では、【脱 飲酒欲求】から【旧体質からの脱却】(←これは漠然としていて今もはっきりしませんが、要は変わらなきゃ)という心境でした。

この段階、最初の頃は好調な滑り出しで、お酒もやめて体調は良いし、気分も嘘みたいに良いんですが、段々と現実に直面すると雲行きが怪しくなります。
私は、病院を退院して、約3ヶ月も自宅療養という名目で休職していました。
期間に関しては、
職場の都合や思惑もありましたから、私の希望という訳でもないんですが、この自宅療養という、入院に次ぐ無菌状態でも、【旧体質からの脱却】を決心したにも関わらず、簡単にヘコみ、クサリ、勝手に傷つき、落ち込みました。

この頃ほど最近はひどくありませんが、まあ今も延長線上にいると思います。

少しは前に進んでいると思いたいです。
ベクトルが前を向いているなら、今は僅かな仰角でも、必ず上つ方になると信じています。(でないとやってられません)

この落ち込みは、『やっぱり自分は駄目なんだ』、とか思うのですが、段々と、『じゃあ何が駄目なんだ?』という気持ちになります。
『じゃあ、他の人はどうなんだ?』とか、『他の人も大変じゃないのか?』『苦労してるんじゃないか?』と思い始め、ふと我に帰り、『こんな事でうじうじしていたら、世の中みんなアル中だ!』と考えるように至ります。

勿論、本当に深刻な悩みはありますし、些細な事に囚われる事もあります。

また、過去の問題飲酒が今の自分の首を締めている事は山程あります。

後悔先に立たずです。

そんなこんなで、
他責から自責(自己責任)に考え方が変わります。

良くも悪くも自分次第。
良い事も悪い事も原因は自分にある。

ここまでも紆余曲折ですが、実際は、今も日々他責と自責が葛藤する訳です。

お酒に囚われていた頃は、自己憐憫と被害妄想がMAXで、更に自分が自分についた嘘や言い訳が身勝手な世界観を作って、もうまともな判断は出来ませんでした。

私は内観で、なるべくしてアルコール依存症となったと、声は大に出来ませんが認めてます。

怖いのは負のスパイラルで、依存してお酒に囚われると、心の蝕まれ方が半端ではありません。

アルコール依存症は、あまり程度の問題では無いような気がします。
どうせ進行しますから。
ただ、心の侵食は恐ろしいです。

最初に入ったアルコール専門病院の保護室(独房)に凄い人がいました。申し訳ないですが、人とは言えない状況でした。
その時点でも、もう何ヶ月も保護室に入っていたそうですが、私がその病院を退院する頃にも一般病棟に来る事はありませんでした。
一般病棟と言っても、その病院の場合は脱出不可能な収容所でしたが。

壊れている、この言葉で人の恐ろしい姿を想像して下さい。


これは極端にして、個人的には軽症とか重症とは難しいし、意味が無いケースもあります。

飲んだ量とか醜態の数とか、病院や断酒会あたりでは自己暴露大会になりますが、あんまり意味がないです。

ただ、アルコール依存症の定義は明確です。

過量飲酒や問題飲酒ではなく、コントロール障害です。

飲んべえが一杯のつもりが二杯三杯も少し違います。

飲んではいけないのに(真に重大な事由が天秤にかけられているにも関わらず)飲む。

これがアルコール依存症です。

久里浜式のテストなど有名なツールでの判定もありますが、症状で判定でありますから、若干は個人差があります。

そして、個人差がありますが、確実に進行して、今の医学では治りません。

進行を抑えるには断酒しかありません。

そして、ご存知の通り、断酒が難しいのです。

私の様に、心身共に病んだ人間は自力は難しいです。

そして、一定の断酒後は、その継続が難しいと思います。

私は今がこの辺です。

飲まない自分をどうするか?

これには答えがありません。


答えがわかればこんな病気で悩み苦しみません。

個人差もあるし、アルコール依存症もケースバイケースで千差万別。

ただし、定義は間違えていないはずです。
コントロール障害です。

なるのは簡単
やめるのはかなり大変
やめ続けるのは更に大変



今回の記事のタイトル、今の私の心境ですが、最後に私の意訳を。

あなたの残念さが、私は残念でなりません。


※過去と他人は変えられない

有名な言葉ですが、私は続きを付けます。

変える事が出来るのは自分と未来

今と自分を変えれば、きっと望む未来と人がついて来る。




no one lives forever

依存症は厄介な病気です。

まだまだ回復の入り口で右往左往している私ですが、私の経験では回復には大きく2つの期間に分かれます。

まず、物理的に断酒の時期。

酒断ち自体です。

私は心身共にどっぷり囚われ、最後の1杯までが大変でした。
幸い、家族や職場、何より医療機関のお陰で脱する事ができました。

最後の1杯から2ヶ月後以降、今に至るまで病的な飲酒欲求を感じていません。

本当に有り難い事です。

2つ目の期間は、精神的な改善です。

今がまさにこの段階です。

2段階目も大変なもので、多分人生が終わるまで続きます。


私はアルコール依存症で、この2段階目ですが、この最中に、近しい人を見放しました。
私と同じくアルコール依存症であり、まだ断酒にも踏み切れていない人です。

何とかしたい、そう思って様々なアプローチを試みました。

本人はもう正常な状態ではありません。

以前は、立派な人でした。
社会経験があり、かなりの収入があり、技術があり、優しく面倒見のよい人でした。

しかし、不幸な出来事から、ゆっくりと歯車が狂いはじめました。

誰だって気が狂うような不幸でした。
そこにアルコールへの依存が拍車をかけ、今は別人です。

私は、自身の社会復帰からしばらくして、本人や周囲に、自分の経験を踏まえて話をしました。

この間の事は、私の傷になって終わりました。

本人にはもう話をしても無理な状態です。

むしろ、私を絶望させたのは周囲でした。

知識や一貫性なさなどの弊害が邪魔をするのですが、それは仕方が無い事です。

何が問題かというと、本人も周囲も病んでなければ立派な良い人達だからです。

何とかなる
何とかしてあげる
責めてはいけない
優しく接しよう
助けよう

間違っているとは言いたくありませんが、適切ではない善意が病気を悪化させます。

もう無理でした。
ただただ悔しくて悲しくて…
関係を絶った今も苦しさから逃げれません。
しかし、これ以上は私と私の家族に悪影響を与える、そう判断して切りました。

私は少しだけ他の人より病気を知っている、だから私は医療機関に繋げる努力をしようとしました。

わたしにとっても大切な人でしたから、感情を押し殺して接しました。

でも、繋ぐ事ができませんでした。

そして、接点を断ちました。


別に病院が全てとは思っている訳ではありません。

私もある病院の入院で一度悪化しています。

また、私が最後に入った病院や、私が繋がった自助グループに連れて行くつもりもありません。

その人やその人の家族の都合があります。

そして、病院に繋がっても、絶対に良くなるとも思っていません。

何人もの病院の仲間がスリップし、そしてもうこの世にいない人がいます。

私は、正確には病気の怖さを知っているだけです。

我が身の事を含めて。

そして、この人は回復するかもしれないという見立てはハズレがありますが、この人はダメだろうなという読みは、悲しい事にハズレません。


悲観的になるのはいい事ではありません。

希望や前向きさは必要です。

しかし、なぜ、依存症には底つきが必要、と言われるのでしょう?
そして、その為には周囲の助けが悲しくも弊害になる。

癌治療じゃないんだから、ただひたむきに本人を心配して助けても何にもならない。

私の妻は、私が医療機関に繋がる前後、私が円滑に治療に専念出来るように、仕事と家事をしながら睡眠時間を削って様々な支援をしてくれました。

それを知ったのはずっと後になってからです。

でも、私に対しては一貫して厳しい態度を取り続けました。

当時の私には捨てられたと思った位でした。
自分のしでかした事なのに、裏切られたとさえ思いました。

恥ずかしい話です。

ですが、私は今に至りました。



アルコール依存症は、割と頭の良い人や立派な人もなり得ます。
時には頭の良い人だからなるのではと思う程です。

だから、一見大丈夫だと思う人が、かなり重症も十分ある事です。
ちゃんと自分の意見を言えてるからって重症じゃないとは言えない。

私もそうでしたが、頭が働く人間のこの病気は余計にタチがわるい。

私は病院の回し者じゃないし、個人的にはあらゆる先生と呼ばれる人種も好きではありません。

ですが、病気は病気。

依存症の本人が病院に行きたがらないの仕方が無いとしても、病気のせいで辛い思いをしている周囲が病院を否定しているなら、周囲も病んでると思います。

もしくはただの無責任なだけです。

でも、知らない人に実態を伝える事は、依存症者を治療に繋げる事同様難しい。


今回の最後に書いておきます。

アルコール依存症の回復率は2割

アルコール依存症の平均寿命は52歳

お酒を美味しく楽しく飲んでいる人にお酒をやめろと言うつもりはありません。

こっち側に来ないようにいて下さい。
美酒のままでありますように。


でもコントロールを失った人は、手を打って下さい。

こんな病気になるい人がいなくなりますように、こんな病気に苦しむ全ての人が救われますように、そう祈ります。


keep it simple

※今回の記事は、あるブログを見て書く事にしました。
内容はあらためて私の断酒に至る経緯、つまり入院です。


2年前の私の家は、私の問題飲酒で悲惨を極めていました。

離婚寸前。
妻の実家は、妻と娘を引き取るつもりでした。
健康な妻はやつれ、娘は私をパパと呼ぶものの、内心では既に親だとは思わなかったそうです。
職場でも問題視されていました。

長文が予想されますが、ある方へお伝えしたい事は以下です。

『奥様とそのご両親には、アルコール専門病院に即入院するので、退院後半年まで猶予をお願いして下さい。準備の時間はありませんし、必要ありません。すぐに入院して下さい。』
『ブログ文面にあるような会社にお勤めなら、休職してあらゆる官民の社会保障でしばらくは生活できます。』
『必ずお酒をやめて下さい、あなたはもう飲めません』
『あなたは自力で断酒は無理です。専門病院に入院して下さい』
『入院はきっかけで、病院では支援は得れます。入院中は、退院後のビジョンを持って下さい。私の場合は、お酒を飲まず、三度のご飯を食べて、夜は眠る事でした。つまり、人として当たり前の姿です。』
『病院で心と体を落ち着けて下さい』
『心身が安定してからが頑張る時です』
『ご家族と仕事の事はそれからです。』
『回復は簡単ではありませんが、あなたなら出来ないはずはないと思います。』
『奥様にもご両親にも職場にも猶予を頂けたのなら、必ず仁義を通して下さい、それは断酒とあなたが少しづつ出来るようになる努力です。』

『あなたはいまボロボロです。ひとまず、病院で休息が必要です。』

あなたはほんの数年前の私と何も変わりません。
何とかなります。
あなたが、気持ちと努力と選択を間違えなければ。


本編


土曜日
何かと問題は抱えていますが、休みは休み、ゴロゴロしていました。
今週は毎日が残業で、流石に疲れています。

とはいえ、家族サービスもせねばならぬと、さっき妻に映画かスーパー銭湯でも行かないかとお誘いしましたが、ゴロゴロを希望されました。
今週は、私の毎日の帰りが遅く、お詫びと日頃の感謝のつもりで、出かけるなら私のヘソクリで奢ろうと思ったのに…
晩ご飯も付けようと思ったのに…

小銭を持っている事は見透かされたか、近所のケーキ屋の限定スィーツをご所望と申します。
買って来いとの意味です。
娘も、一瞬お出かけを期待しましたが、今日はTVでAKBナントカの総選挙があるから、ヤラセヤラセて言いつつもTVを見ながらスィーツに便乗です。

一人寂しく買い物に出かける前に書き上げましょう。

今回もお酒の話です。
AA関係のミーティングでは、私なぞペーペーの部類で、私自身が人の話に気づきを求めて参加しているので大人しくお話を聴いています。

ミーティングを引っ張る方々からは、そろそろ私より後にお酒をやめたメンバーに私から話をする頃だと促される事があります。


最近、仕事の拘束時間が休職前と変らなくなり、AAはおろか、断酒のブログ巡りもしていませんでした。

昨晩、仕事帰りの途中に、たまたま見たブログがあまりにもショックで考え込んでしまいました。

お酒でのっぴきならない状況に陥っているそうです。

状況も症状も、何もかもが私とそっくりです。
自分の痛いところを他人に見出すと、辛く悲しく怒りも覚えます。

何回もコメントを書こうと考えましたが、答えが見つからず、やめました。

以前の私と同様、何を言っても届かないかもしれないし、差し迫った状況はそれどころではないはずです。

でも、山積みの問題を解決するには断酒しかありません。
全ては断酒してからです。



結果論での私の断酒と継続はこうです。

2年前、妻から何度も入院を懇願されました(妻は社会福祉に関わる仕事をしていて、詳しい方々に何度も相談済み)が、私は入院すると言ったり、したく無いと言ったり、要は逃げていました。

私自身も、何とかしないといけない、もう駄目だ(自殺しかない)等と考えましたが、何も実行してません。

断酒は、そうなる前から考えましたし、試してもみました。

自力の断酒は無理でした。
もって三日です。

飲酒欲求を超えた何かに支配されていました。

一番辛かったのは眠れなかった事です。

入院直前まで仕事をしていましたから体は疲れているのに、飲まないと全く眠れませんでした。

それでもお酒をやめないと駄目だとは思うので、我慢の断酒を試みますが、日中は手足が震え、脂汗が止まらず、夜は全く眠れない。
三日が限度です。

そして、眠れないまま仕事に向かい、気持ちを落ち着ける為に、仕事前や仕事中にお酒に口をつけました。

一線を超えました。

しばらくはやり過ごせます。

この間、営業の担当地区が都心だった為、車での移動は非効率で公共交通機関を利用していました。
飲酒運転をせずに済んだのも結果論です。
当時の私は自分の最後の理性と勘違いしていました。

違います。

結果に過ぎません。

当時の私は自己憐憫と被害妄想に取り付かれていました。

飲酒は仕事、ストレス、人間関係、親、妻子との関係を理由にしていました。
今も私を取り巻く環境は変わりません。
でもお酒は必要ありません。
そして、ただ私が飲まないだけで、関係性はずっと良くなりました。

でも、当時は飲む理由もやめられない理由も、私以外にあると思っていました。

飲んでからの状態も日に日に酷くなります。
依存症は進行します。

私は毎日、仕事帰りの新幹線で、義務のようにかなりの酒量を飲んでいました。

基本的には、ほぼ毎日ブラックアウトしていた言えます。

沢山のお金や物を失いましました。
無くして、壊してしまいました。

気がついたら病院や警察に保護も何度もあります。

失禁や脱糞も。

妻子に手を上げた事はなかったらしいですが、存在自体が暴力です。


そして、会社でも露呈していきます。

何度も関係する部署の長に呼び出されました。
自主的な治療を促す為です。

その時は真面目に話をしますが、行動には伴いません。

ついに、会社関係者(異なる部署の役職を持った方が二人も)に病院に連れて行かれました。

医師からの休職と即入院勧告です。

残念ながら、内科専門の産業医でしたので、書かれた紹介状もアルコールは専門外の精神病院です。

翌週、妻と、また別の会社関係者(今度は元上司と人事の役職の方二人も)と精神病院へ向かい、即日入院です。

残念ながら、効果はありませんでした。

私に何の変化もなかったからです。
専門外であった事もそうですが、私に気づきがありませんでした。

その病院には、偶然にも小中高の同級生が勤めていましたが、私は恥じる事なく、外出外泊の度にお酒を飲みました。

結局、主治医である医院長から、アルコール専門の病院へ転院を言い渡されました。
『当院ではあなたを救えない』

そしてアルコール専門病院へ医療保護入院となりました。
1回目の専門病院です。

筆舌に尽くし難い、刑務所のような病院でした。
人権も衛生も度外視した、ただお酒を飲ませない収容施設です。

家族の面会も制限がありました。

この辺は以前のブログに書いてますので省略しますが。

転院当初は落ち込みますが、慣れると考え方がより誇大妄想を帯びていきます。

退院の為、模範囚のごとく振る舞い、診察は筋の一貫した嘘を重ねます。

一人、私の歪みに気づいたのは妻でした。

回復どころか悪化している。
飲んでないのに、と。

葛藤の末、本当の最後と決意し、私の医療保護入院を解除し、私を退院させました。

私はそうとも知らずに。

この辺も前に書きましたから省略しますが、1回目のアルコール専門病院を退院後、私は何も変われていないのに、元の生活を取り戻そうと画策しました。
因みに、退院後3日で再飲酒は始まっています。

当然ですが、家族関係も復職も思い通りになりません。


そして、はじめて自分の意思で、無くした物を取り戻す為、2回目の入院となりました。

一応、2回目の入院の予定日の2週間前にお酒を断ってから向かいました。

それが、今日至る最後の飲酒です。
もう、味の感想も覚えていません。


続きは、近く書く予定です。

今からスイーツを買いに行きますから。

こんな変遷の私でも、今も家族と暮らしています。
家も売らずに済みました。
会社にも復職しました。
また新幹線通勤もしていますし、もう飲んでいません。

今月で最後のお酒から1年になります。



keep it simple

困難な状況にある場合、物事はシンプルに考えるべきです。

今、やるべき事は断酒です。

あなたは間違えなくアルコール依存症です。

そして、あなたのブログを最初から読ませて頂きましたが、気分が悪くなるくらいに私にそっくりで、重症です。
心がです。

でも、厳しい言葉に耳を傾けて下さい。

今のあなたには優しい言葉は病気を悪くするだけです。

あなたが6月に私のブログを訪問した事を確認して、私はあらためて自分の経緯を書いてメッセージをおくりました。

期待はしませんが、信じています。
また訪問される事と、あなたがお酒から立ち直れる事を。

summer in the city

夏を語るにはまだ早いですが、暑くなりました。

今回のタイトルは無理くり『DIE HARD with a vengeance』(ダイ・ハード3)のオープニング曲にちなみました。
summer in the city

夏が近づいています。

上着無しのノーネクタイ、クールビズ姿の通勤が有り難いです。

私は1年強もスーツから離れていましたから。(アルコール依存症で、会社と言うより、実社会からの戦線離脱です)

今年1月から職場へ出てますが、スーツがネクタイが革靴が未だに窮屈に感じます。

昨年の夏は2回目のアルコール専門病院で過ごしました。(7月~9月)

1回目の専門病院と違い、空調(トイレにはウォシュレットも)完備の病院で、今思えばかなりストレスを感じない環境でした。

今頃になってですが、暑さ対策はアルコール対策だったのかなと思います。

1回目の病院は、月に数回の外出(山の麓の病院で、職員が引率監視で畑での簡単な農作業)しか許されていませんでしたが、2回目の病院はほぼ束縛無く外出や外泊が可能でしたから、目を盗んでお酒を飲めた訳です。
実際、見つかる見つからないは別にして、飲んだ人はいます。

私も、入院当初は何度かノンアルコールビールぐらいなら飲んでも良いかもしれないと考えました。

ノンアルコール飲料に手を出していたら、間違えなく次はお酒を飲んでいたと思います。

1回目の病院との比較ではありますが、お金は勿論の事、私物の所持も許されず、生活は指定の病院着を着用して、更に脱出不能な塀と金網と囲まれた山の病院と、市街地に立地する比較ならないくらい自由な病院では訳が違います。

簡単にお酒が飲めます。

夏場のエアコンは、入院患者の出入りや自由が担保された病院の配慮だったのだと思えてなりません。

暑さを言い訳に、散歩の途中でビールを飲んだら、良くても振り出し、現実的には悪化でしかありません。

縛りの少ない環境でアルコールを断つ為、自律の為と思えてならないのです。



今、暑さの近づくこの季節、仕事帰りの駅周辺は、夏を感じる空気があります。
活気と喧騒
炭火の香り
ビアジョッキやグラスの音

幸い、今はまだ自分の苦い過去を忘れていませんし、道ゆく方々のアルコール臭の吐息は気持ち悪くさえ感じますが、そんなものは何の保証にもなりません。

冷静に考えると恐ろしくなる事があります。

それはこうです。

体調面は1年とは別人の様に良くなりました。

体は軽い
三度のご飯は美味しい
夜は仕事の疲れでグッスリ眠れる
γ-GTPの数値は13をキープ

だからです。

今飲むお酒はこの世の物とは思えぬ旨さでしょう。

ほんの1年前までは、体調が悪くても、ご飯が食べれなくても、お酒だけは飲んでいたのですから、今の体には染み渡る甘露でしょう。

しかも、社会復帰して一丁前に疲れています。
精神面では、産毛が生えたかどうかの成長レベルです。

お陰様でもうすぐ1年も素面ですから、さほど飲みたいと思う事はありませんが、次の最初の1杯は、やめられるはずがありません。

全てを台無しにしてもお釣りがくる1杯になります。

ゾッとします。

久しぶりにお酒の事を考えました。

今の私を取り巻く人達、物、事に感謝して、退院後初の夏を迎えようと思います。

病院のエアコンを思い出し、あの頃の私を思い出しました。

夏が終えたら、秋、冬と季節が巡ります。

退院して初の夏、
社会復帰して初の秋冬、

一巡して次の季節。

一つ一つが前とは違う今です。

超えて行く事も経験値。

私の大事な経験値です。

人生をやり直しているのだから、無くした自信を取り戻す為に、向き合って行きます。

私にも私の家族にも、読んでおられる皆様にも、楽しい夏が訪れます様に。


プロフィール

diehard0

Author:diehard0
2009年秋
健康診断
アルコール性肝臓疾患
糖尿病
他、異常値たくさん

2011年4月〜2011年5月
入院治療
肝臓疾患
慢性膵炎
糖尿病

2011年11月14日
アルコール依存症と診断
即日精神病院へ入院
休職の始まり

2011年12月27日〜03月30日
入院中も再三飲酒し転院措置
1回目のアルコール専門病院へ
医療保護入院


退院後も再飲酒
休職のまま自宅療養
連続飲酒の日々



2012年06月
入院治療を希望
心療内科へ相談
専門病院を予約

現時点で最後の飲酒

2012年07月2日〜年09月28日
2回目のアルコール専門病院へ
任意入院



2012年11月
復職に向けての自宅療養
ブログを始める



2013年01月
職場復帰

2013年3月
正式復職


断酒ポリシー
“最初の一杯を飲まない”

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