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明けましておめでとうございます。

お酒に対して無力であると認めた事を継続し、後退した人生を取り戻す事に専念致します。

が、出鼻から難航しています。

2012年12月29日から妻の実家に来ています。

妻の実家は漁師稼業で、食事のたびに、鯛のお刺身に煮付け、メバルの煮付け、海老の揚げ物などを食べさせてもらってます。つきたてのお餅もかなり食べました。

食事くらいは普通の人の様に振る舞って、美味しく頂いてます。美味しい事は紛れもない事実です。

予定では、3日に我が家に戻ります。

話が遡ります。

私は2011年末にアルコール依存症と診断され、その日より休職して、最初のアルコール専門病院に入院しました。

入院する前の一年は、公私共に問題行動だらけでした。公の方は、ギリギリまで隠せてたつもり(そう思っていたのは私だけ)ですが、私生活はデタラメ(妻子には悲惨)で、肉体的暴力がなかった(精神的には暴力以外の何物でもありません)事が救いと言えば救いでした。

最初のアルコール専門病院は、退院して知りましたが、日本でも有名な、厳しい規則と社会から隔離された刑務所の様な病院でした。
実際に刑務所を経験した(アルコールと薬物は犯罪について回ります。その結果の元受刑者が沢山入院してました)患者が、『ムショより酷い』と言ってましたから、話半分だとしても、相当だったと思います。

私をこの病院に送った医師は、『あなたは会社に勤め、家族も家もある。だから、はっきり言って、相当過酷だと思います。多分、あなたの様な境遇の患者は他にいないからです。勧めたくはありませんが、うちの病院ではアルコール問題は対応できないし、専門病院できちんと治療を受けるべきなんですが、私が紹介できる病院で他に空いている病院がありません』

入院当初は、あまりの入院生活がショックで、絶対にもう二度と飲まないと思いましたが、入院生活の辛さから、退院したら絶対に飲むと気持ちが変わっていきました。私以外の全て何もかもが憎かったです。

この病院は、有無を言わさず医療保護入院で、基本的には最低3ヶ月は退院は推奨されません。

結果論ですが、私には全く効果のない入院生活でした。

私は入院中、診察でも妻への手紙でも、一日も早く退院する為、嘘をつき続けました。

妻はすがる思いで入院を見届けましたが、途中で気付いたそうです。
入院は自覚を促すどころか、悪くなるばかりだと。

妻は、リスクを覚悟して、入院前より心も考え方も荒んだ私を退院させました。

まず、普通は1年でも退院は珍しい病院を3ヶ月で退院しました。10年以上の連続入院の患者もかなりいるところを。

3月31日に退院して、4月4日の午前中になんのためらいもなく飲みました。

余談ですが、アルコール依存症は確実に進行してました。入院直前まで、ビール500mlとバーボン400mlがブラックアウトするかしないかの境界ラインでしたが、ビール350mlとバーボン200mlでブラックアウトしました。
何年断酒しても、アルコール依存症は進行性の病気です。

それから、入院前の様な連続飲酒には至りませんでしたが、二日に一回は確実に飲みました。

5月に、職場との復職面談がありました。同席を求められた妻は、面談の際に、仕事復帰は無理だと言い切りました。私が嘘を言えば、『嘘です』と言い切りました。

あまりに酷い面談内容で、本来なら当事者と人事の担当者で行われる面談に、私が所属する営業部の責任者が呼ばれて、私の有様を見るなり、『治して来い、お前の人生はまだ長いぞ』と言われました。

職場から、完全断酒を前提に、再度治療を受ける猶予を貰いました。
私の職場は、はっきり言えば一流企業と呼ばれる会社です。ですから、簡単に馘首出来ない事情はありますが、妻の真摯な態度が担保になったと思っています。ちなみに、妻は全く私の職場には関わりがなく、始めて私の職場に訪れました。

それから、新たな病院を探しました。

巡り合わせで見学に行った病院は、最初の病院とは全く違うところでした。
アルコールリハビリテーションプログラムを受ける点を除けば、一般的な病院と変わりません。携帯も財布も自己管理。外出して、散歩や買い物も行けるし、週末は自宅に外泊も出来ます。近所にお酒を販売するお店がゴロゴロあり、入院中にスリップの可能性もあります。

この時、私は、最初の病院とあまりに違う自由な環境と、だからこそ本当に断酒出来るかもしれないという、矛盾した考えで入院先に選びました。

私は、声高に後者の理由を全面に出していました。決して嘘ではありません。
妻は、前者が理由だと指摘しましたが、私が自分から入院をすると言った事を尊重したそうです。

病院は入院患者で引きも切らず、1ヶ月の入院待ちでしたが、すぐ予約をしました。

結局、1ヶ月半の入院待ちになりました。7月2日に入院しました。

この入院待ち中の6月18日が、結果として今日に至るまでの最後の飲酒でした。

入院中、最初に自宅に外泊した時に、私の態度は変わっていたそうです。
妻も子も、2人でビックリしたと、私の担当の看護師さんに話をしていました。
それに関しては、私は全く自覚がなく、逆にその話を聞いた私の方がビックリしました。

ソワソワやイライラが全くなく、態度や言動が違ったそうです。
妻は、変わりように本当か嘘かの判断が出来ず、妻曰く、精神的に揺さぶりをかける様々なトラップを仕掛けたそうですが、それも全く引っかからなかったそうです。

なんとなくなんですが、トラップが何かは今も聞いていません。今のところ、聞く気もありません。

そして、3ヶ月のアルコールリハビリテーションプログラムを終え、9月28日に退院しました。

今日までスリップはありません。そして、誰にも嘘をついた事がありません。

お酒に対しては気づき、行動、再考、反省、恥、新しい気づきを日々繰り返しています。
一日前の自分の考えに合格点をあげた事はありません。過去は過去です。何度も、悟った錯覚に落ち入り、それに気付き恥じるのみです。

12月に入り、再び職場の復職面談がありました。主治医の先生の診断、職場の産業医の面談を参考にしますが、再び妻も呼ばれました。
今回は、私が話す事に一つも異を唱えず、職場から意見を求められても『信用してます』とだけ答えました。実際、妻が黙っていても、今回は終始双方が落ち着いた面談でした。
今月から復帰が決まってます。

どうですか?

『なんだ、diehard0は何もしてないじゃないか、妻がいなければクズじゃないか』とお思いでしょう?

その通りです。

そして、今もまだそんなに変わってません。

ようやく話を戻します。

数日前より、妻の実家に来ています。私と妻と私達の子供を除いても、帰省中の妻の兄弟やその家族で、11人がいます。
ちなみに、11人に妻と子供を足しても、全員下戸です。

人によって温度差はありますが、妻の実家の人々との関係は回復してません。

特に、妻の最愛の母と口が聞けません。
何を言われようが構わないと思っていますが、これ以上辛い思いをさせたくないので、義母の立場で考えれば考えるほど、何も思いつきません。

義父は、最初に怒気を込めて、たしなめられました。その後は嫌味の様な事を言いますが、気遣いがありありとわかります。気遣いに甘える形ですが、口数の少ない人なので、言われ放しでいようと思ってます。

今年は行くべきか悩みましたが、行く事に躊躇する理由は、私の保心と保身でしかない思い、行くという行動に移しました。

まずは、妻と子供をこれ以上悲しませない為に。

そして、謝罪で解決するなら、それは自分が救われるに過ぎない自己満足と理解した上で、何が出来るかはわからないまま、ただ、お酒だけは飲んでない姿を見せに来ました。

無責任だとは分かっています。

妻の実家で年末年始を過ごしてますが、まだ何もみえてません。

お酒に対して無力と自覚してますので、海の幸を食べても、妻の実家の大家族に囲まれていても、お酒を飲む発想は全くありません。

私の問題が改めて浮き彫りになりました。
私のアルコール問題は、私の心の問題でした。
某国の銃社会の問題の様に、複雑な話ではありません。銃なのか、人なのか社会なのか法なのか、ありとあらゆる事が言えますよね。
私の場合は、お酒なのか社会なのか文化なのか、どれでもありません。私が問題なのです。

でも、長らくお酒で自分にすら隠してきた問題は、気付きこそすれ、改善方法が全くわかりません。

飲まなけば許される段階はもう越えました。勿論、いつ踏み外してもおかしくはありませんが。

焦らず堪える事も私の問題の解決の一つですが、ここにきて目の当たりにした問題をどうしていいかわからず、潰れそうです。

少し、私の問題を可視化し、整理します。
少なくとも、まだ理路整然と説明が出来ません。


では、また。





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コメント

非公開コメント

気づきと回復を祈っています。(しんどいと思いますが)

問題の可視化はとても重要と思います。私の場合は、20歳の時不安神経症になりその時から現在のアルコール依存症になるまで自己分析を日記も含めて書くことにより認識しました。
(私は、認識しても回復できるか判らんアホですが。 _| ̄|o )
貴殿ブログによりますと、指定医による医療保護入院をされたとのこと、暖かい家庭のあるうち自己をしっかり認識し回復されることを祈っています。
私は、アルコール依存症の重度の方を見てきましたが、ある程度行くと戻ることは、はっきり言って困難です。
今気づきを得られ回復されることを祈っております。

No title

豆大福さん。

コメントありがとうございます。

私が知る私の問題、これは二つの見方から切り口が見えつつあります。

一つは、事象が進行中にこみ上げてくる『嫌な感情』になぜ?何故?ナゼ?を深堀して突き詰める事。
一つは、過去に『嫌な感情』に任せるがままとった言動と結果を、あるべき姿に置き換えるにはどうしたら良いか?を考えてみる事。

何故?と、どうしたら?を考え、虚飾や欺瞞を取り除いた感情は『恐れ』です。

心が傷つく事を恐れる。

今のところ、耐性を備えるには『自信』を持つしかありません。
私の自信には『経験』が必要です。
経験に代わるものは、人からの『評価』でしたが、
評価を期待したままでは進歩がないし、虚飾や欺瞞を自分で作り出し、
結果として自分を追い込みます。

豆大福さんのおっしゃられるように、私は再発したらもう無理だと思います。

評価ではなく、虚飾や欺瞞でもなく、『受領』が最善だと言うのが、
今時点での結論です。

急いで結論を出さず、受領を重ねる事で得られる結論。
この積み重ねが、自分で自分を支え続ける、何かに依存しないやり方なので思ってます。

すみません、コメントへのお返しというより、この数日の自分の言動を踏まえて考えをまとめただけです。

いつもやままるさんのところでお見かけして、遊びにこさせていただきました。そしてこの記事を今日初めて読みました。感銘を受けました。
これからも陰ながら拝読させていただきます。勉強させていただきます。豆大福さんもいらしてて、うれしいです。
今年が素晴らしい一年になりますように。
最後に余談ですが、
私はダイハードが一番好きな映画で、四作すべて、ビデオとDVDを持っていて、好きな俳優は?ときかれると、迷わずブルース•ウィリスと答えます。(^-^)

No title

aceさん、yippee ki yea!!

以前、コメント頂いた後、aceさんのブログを拝見してます。
また見て頂いてありがとうございます。

情緒豊かな文章の作り手の方がまさかのJohn McClane好きとは!予想外です。

近く、『LOOPER/ルーパー』が公開されますが、2月の待望の第5作『A Good Day to Die Hard(原題)』は楽しみですね。

この作品の大ファンで、1作目を初めて観た当時中学生の私は、タバコとzippoライターとタンクトップシャツを買いに行きました。

こんなバカのブログですが、見て頂けるなら嬉しいです。

私のIDのdiehard0は、
『DIE HARD』の意訳
“死に損ない”
“しぶとい”
にちなみました。
プロフィール

diehard0

Author:diehard0
2009年秋
健康診断
アルコール性肝臓疾患
糖尿病
他、異常値たくさん

2011年4月〜2011年5月
入院治療
肝臓疾患
慢性膵炎
糖尿病

2011年11月14日
アルコール依存症と診断
即日精神病院へ入院
休職の始まり

2011年12月27日〜03月30日
入院中も再三飲酒し転院措置
1回目のアルコール専門病院へ
医療保護入院


退院後も再飲酒
休職のまま自宅療養
連続飲酒の日々



2012年06月
入院治療を希望
心療内科へ相談
専門病院を予約

現時点で最後の飲酒

2012年07月2日〜年09月28日
2回目のアルコール専門病院へ
任意入院



2012年11月
復職に向けての自宅療養
ブログを始める



2013年01月
職場復帰

2013年3月
正式復職


断酒ポリシー
“最初の一杯を飲まない”

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